和装のフォーマル ~足元編~
意外と知られていない母の日の意外な歴史
毎年5月の第2日曜日は、母親にカーネーションを贈って日頃の感謝の意を表す記念日「母の日」です。お客様は母の日の歴史をご存知でしょうか?今回、実はあまり知られていない母の日の歴史を紹介します。
古代の「母の日」
古代の「母の日」に関して諸説ありますが、ギリシャ時代、神々の母リーアに感謝し、たたえるための春祭りから発祥したという説があり、この春祭りは小アジア(現在のトルコ共和国に相当する地域)のいたるところで3月15日に行われていたそうです。
中世の「母の日」
17世紀ごろのイギリスの時代、復活祭(イースター)40日前の日曜日を「Mothering Sunday」として、家から離れて奉公に出ている子供が年に一度、実家に帰って母親と過ごすことが許されていました。
母親に会って親孝行できるようにという日でした。このとき贈り物として、「Mothering cake」というアーモンド・ペーストを塗ったフルーツケーキを用意したそうです。
現在のイギリスではチョコレートやカードを贈るのが一般的のようです。また、春の訪れを告げる花としてダッファディル(黄色いラッパ水仙)も人気があります。
現在の「母の日」
現在の母の日になったのは、20世紀初頭のアメリカで母親思いの女性が起こした行動がきっかけでした。ウェストバージニア州で教師をしていたアンナ・ジャーヴィスという女性が、苦労して自分を育ててくれた母親の命日に追悼の意を表し、フィラデルフィアの教会で「亡き母を偲ぶ」という花言葉の白いカーネーションを霊前に手向けました。
アンナの行動は参列者に大きな感動を与え、母親の大切さを認識させました。
そして母の3回忌のとき、アンナは友人たちに「母の日」を作って国中で祝うことを提案しました。
翌年の5月10日、彼女が勤めていた学校に470人の生徒と母親達が集まり、世界で最初の「母の日」を祝いました。これを期に、アンナは支援者と共に母に感謝の気持ちを捧げる休日を作るよう、議会に呼びかけました。その声は大統領にまで届き、1914年のアメリカ議会で、5月の第2日曜を「母の日」と定め、国旗を掲げてお母さんに感謝の意を示すことになりました。
日本での「母の日」
1915年(大正4年)頃、青山学院で当時教授だったアレクサンダー女史がアンナ・ジャーヴィスからのメッセージを紹介し、キリスト教関係の団体が中心になって母の日を日本に広める活動が始まりました。
1937年(昭和12年)には、この行事を更に全国に広げようと、森永製菓と諸団体が中心となり「第1回 森永・母の日大会」が開催されました。
当初は皇后の誕生日である3月6日(地久節)に行われていましたが、1949年ごろからアメリカの例にならって5月の第2日曜日に行われるようになりました。
お母さんに関連する世界の民謡・童謡は?
最後に「母の日」にちなんで「母」に関する世界の民謡・童謡をいくつかご紹介したいと思います。
母親の歌と聴いて真っ先に思い浮かぶのが、アイルランド民謡「ダニーボーイ」です。戦場へ行ってしまった息子を思う母親の切ない心情が込められた名曲です。
その他にも、ロシア歌曲「赤いサラファン」、クラシック「シューベルトの子守唄」、アイルランド民謡「アイルランドの子守唄」、ドイツ民謡「ハンス坊や」など、「母」に関する世界の名曲が多数ありますので、「母の日」を機会にいろいろと思いを馳せながら聴いてみるのも良いかも知れません。